○舎利禮文(しゃりらいもん)
◎ 一心頂禮。 萬德圓滿。 釋迦如來。 眞身舎利。
本地法身。 法界塔婆。 ||我等禮敬。 爲我現身
(いっしんちょうらい。 まんとくえんまん。 しゃーかーにょーらい。 しんじんしゃーりー)
(ほんじーほっしん。 ほっかいとうばー。 がーとうらいきょう。 いーがーげんしん。)
【註釈】
○舎利 (サンスクリット語)sariraの音写。遺骨のこと。
特に佛(釈尊)または、聖者の遺骨をいう。公儀にみれば、佛の残した、精神的な 遺徳をも含まれる。
○頂礼 五体投地ともいう。
古代インドにおける最高の敬礼。尊者前にひれ伏し頭の先を地につけて、足もとに拝する。
○如来 修行を完成した人。
人格完成者。真理の体現者。真如より来生するものの意に解した真如から来たりて、衆生を導くという活動的な佛。
○現身 現在生をうけているこの身体・現実の身・この身仏や菩薩が衆生を救うために種々に変化して表れでた身をいう。
現仏身・応身。
○加持 仏・菩薩が不可思議な力を持って衆生を護ること。仏の大悲の力が衆生に加わり衆生の信心に仏が応じて互いに道交すること。
密教では、仏の絶対の慈悲が信仰する人の心の中に加えられて、行者がその慈悲を自らの信心によって感得することを言う。
【意訳】
◎一生懸命に心を一つにして、敬い礼拝いたします。佛(ぶつ)・菩薩(ぼさつ)の善徳を欠けることなく具えておられる。すべての心理を体得したる完全なる人格者の釈迦如来の、真のいつわりない現実の遺骨(遺産)「と」、本源としての永遠不変の真理(釈尊の体得されたる真の法)「と」、仏法の真理・本源たる全宇宙の存在(その中に存在する、人を含めた生きとして生けるもの、また形あるものすべての存在を含んだもの)を一つの大きな塔とみなしたこの全宇宙の存在世界「と」「を」。
|| 自分(おのれ・我(われ)・人(ひと))が、すなおな、いつわりのない心で<佛の遺骨と佛の説いた佛の教えと仏法の存在するこの世界>を敬い礼拝したてまつれば、佛・菩薩が自分(おのれ・我・人)のために現れ出(いで)て。
舎利(2)
入我我入。 佛加持故。 我證菩堤。 以佛神力。
利益衆生。 發菩堤心。 修菩薩行。 同入圓寂。
平等大智。 今將頂禮。
(にゅがーがーにゅう。 ぶつかーじーこー。 がーしょうぼーだい。 いーぶつじんりき)
(りやくしょうじょう。 ほつぼーだいしん。 しゅーぼーさつぎょう。 どうにゅうえんじゃく)
(びょうどうだいちー。 こんじょうちょうらい。)
【意訳】
自分の中に佛・菩薩が入り佛・菩薩を現じ、佛・菩薩の中に自分が入ることが出来る。それは、佛・菩薩の持っている不可思議な衆生を護る大悲(だいひ)の力(ちから)ゆえに、(また)佛・菩薩のもっている不可思議な働き(超人的な力)をもって、自分は迷いから目覚める(悟りをえる)ための佛道を修行することを得られ、悟りを体得できる。
(また)自分を含めたすべての世界の人々に佛・菩薩の教えに従うことによって得られる幸福をもたらすことができ、すべての人々が佛・菩薩の説いた真理の境地に至るべき志(こころ)ざしをたてて、佛・菩薩と同等の境地に至るための修行をさせしめ、自分も他人も同じく無知と私欲を除いた佛・菩薩のさとりの境地に至ることができる。全ての人々を差別なく、等しく、導いてくださる、佛・菩薩の遺(のこ)された大いなる智慧(真身舎利・本地法身・ 法界塔婆)を、今、まさに、心をこめて敬い礼拝したてまつります。
